専門家コラム Column

見落とされがちな「産後うつ」。
悪化を防ぐために周囲や本人ができること

キーワードからキーワード別の記事一覧を見ることができます

高尾美穂さん写真

出産した後の女性に心の不調が現れる「産後うつ病」。妊産婦の10人に1人前後が経験するといわれます。赤ちゃんが生まれてうれしいはずの時期に、自分ではうつの症状に気づけないまま、気持ちが追いつめられ、最悪の場合、自殺に至ってしまうケースがあることが報告され、近年、社会問題化しています。産後のホルモンバランスの変化や、育児による睡眠不足……。会社復帰の前の育児休業中など、慣れない子育てに追われて社会とのつながりが途絶えてしまう状況も、産後うつ病を悪化させる要因に。こうした女性に対して、周囲はどんなサポートができるのでしょう。産業医で、婦人科医でもあるイーク表参道 副院長の高尾美穂さんに聞きました。

「妊産婦の死亡原因で最も多いのが病気ではなく自殺だと分かり、ここ数年で産後うつ病の深刻さが注目されるようになりました」と話すのは、イーク表参道 副院長の高尾美穂さん。東京都23区の妊産婦を対象にした2016年の調査によると、妊娠から産後1年までに自殺した女性は、2014年までの10年間に東京23区内だけでも63人(※1)。自殺した人の半数近くが「産後うつ病」を発症していた可能性があると指摘されました。日本の妊産婦の自殺率はイギリスや北欧の2~3倍に上ります。

  • ※1「2005~2014年の10年間における東京都23区の妊産婦の突然死の実態調査」

抗うつ・抗不安作用ある女性ホルモンが
出なくなる時期が「産後うつ病」要注意期間

産後うつ病の症状は、いつから現れるのでしょうか。「よくいう“マタニティブルー”と“産後うつ病”は別のもの」と高尾さんは説明します。マタニティブルーは妊娠中や出産直後に、助産院や病院から自宅へ戻った後に「育児がうまくできるだろうか」といった不安も原因のひとつで、多くは治療をしなくても産後2週間程度で自然に回復します。

一方、産後うつ病は、出産後2~3週間後から発症し、気分の落ち込みや楽しみの喪失、不眠や食欲不振、自責感や自己評価の低下など、うつ症状と呼ばれるさまざまな症状が出ます。産後3か月以内に発症することが多く、一般的には半年から1年、長い人で2年以上症状が続くとされています。

産後うつがなぜ起きるのか。そのメカニズムはまだはっきり分かっていませんが、原因の一つとされるのが女性ホルモンの急激な減少です。「妊娠を維持するために大量に分泌されていた女性ホルモンのエストロゲンとプロゲステロンが、出産後は胎盤の摘出とともにほぼゼロの状態になります。この二つの女性ホルモンには、抗うつ作用や抗不安作用があることから、これが作られない出産後にはメンタルの不調が起こりやすいし、不安にもなりやすいと考えられています」(高尾さん)。

さらに産後数か月は、数時間おきの授乳のために睡眠不足が続き、生活のリズムも乱れやすくなります。寝不足で体力と気力を消耗するうえに、慣れない育児への不安やストレスも。周囲からサポートが受けられない、いわゆる「ワンオペ育児」の場合、家事や育児を1人で担うことになり、心のゆとりもなく、外出もままならない状況が続きます。こうした体調や環境の急激な変化に育児への不安が重なり、そのストレスも発散できないまま、産後うつ病を発症すると考えられています。

閉鎖的な環境も悪化を招く
PMSやうつ病歴がある人は要注意

「産後うつ病で問題なのは、この時期は孤立してしまいがちで、調子が悪くなっていることに誰も気づけないということ。家族やパートナーだけでなく、本人ですら自分の不調に気づくのが難しいのです」と高尾さん。

産後は赤ちゃんとの生活が中心になり、社会とのつながりが途絶えて閉鎖的になることが多い時期。本人や周りが産後うつ病であることに気付かないと、通院や治療といった改善につながりません。症状が出ているときに寝不足やストレスが積み重なると、さらに悪化して気持ちが追いつめられ、最悪の場合、冒頭のような自殺につながるケースも。「それが産後うつ病の怖いところです。夫は、良かれと思って“そっとしておく”人も多い。でも、そうではなく、周囲も本人も出産後に調子が悪いのは、産後うつ病かもしれないという想像力を持ってほしい」と高尾さんは訴えます。

「普段からPMSなどの症状がある人は、そもそも女性ホルモンの変動の影響を受けやすい人。こんな人は特に注意が必要です。また、過去にうつ病の病歴や妊娠中から不安が強い人も産後うつ病を発症する可能性が高い。自身に産後うつ病のリスクが高いことを知っておくことで、いざというときに周りを頼ることができます」(高尾さん)。

産後健診の機会などをうまく使って産婦人科医や保健師に相談し、心療内科や精神科などの受診につないでもらうことも改善の一歩になります。

まず睡眠時間の確保。不調なら母乳育児の中止も
週末は家族に授乳を任せるなどの対策を

産後うつ病の対策で、治療以外に自分や家族ができることはあるのでしょうか? 高尾さんは、睡眠時間をなるべく確保し、休養できるようにすることが最優先だと強調します。

「赤ちゃんとお母さんが離れ、時々でもいいから、ぐっすり寝られる時間を確保するのが大切。たとえば、お父さんや家族がお母さんの代わりに、搾乳した母乳やミルクを哺乳瓶で授乳するなどの対策が必要です。また、母乳育児をやめるのも一つの選択肢です。母乳をやめれば、授乳を家族で分担しやすくなり睡眠時間も長くなるし、お母さんの体力的な負担も軽くなります。女性の体は授乳回数が減ると卵巣機能が再び働き始め、女性ホルモンが分泌されて生理が再開します。生理が再開すれば、産後うつ病の改善も期待できます。メンタルの調子が悪いときは母乳育児にこだわり過ぎず、手放すことも必要な選択です」(高尾さん)。

男性育業(男性の育児休業)も、産後うつの対策に有効です。妻が一人で追い込まれやすくなるこの時期に、夫が育児や家事を分かち合うことで、妻の精神的・身体的な負担が減って、安心感も増し、産後うつのリスクを減らせるでしょう。

では、職場に育児休業から復帰したばかりの女性がいる場合、周囲はどう気遣い、何に配慮すればいいのでしょうか。「たとえ不調があっても、職場では無理をして仕事をしていることがあります。産後うつ病などのリスクがあることを上司が理解して、面談などのタイミングで『体調は戻ってきていますか?』『ちゃんと眠れていますか?』と、体を気遣うような声かけをするといいですね。同時に、本人がどんな働き方を望んでいるか、希望を聞いてみるといいでしょう」(高尾さん)。このとき、大変そうだからと一方的に配慮して、本人の意向を聞かずに仕事を軽減したりするのは好ましくありません。会社からの一種の“戦力外通告”のように受け止める人も中にはおり、意欲をもって職場復帰した人のやる気を大きくそぐことにもなりかねないからです。

産後うつ病の症状は、働き方を少し変えたり、心療内科に通院して治療したりすることで回復していきます。母親を孤立させないこと、睡眠時間を確保させること、そして周囲が心の不調を早期に発見し、母親の負担が軽減するようにサポートしてケアにつなげていくことが大切です。

産後うつ病を重症化させないポイント

  • 産後3か月以内が特に注意時期
  • 周囲は体調を気遣う声掛け。必要に応じ受診を支援
  • 母親の睡眠時間の確保を最優先
  • 母乳育児の中止も検討
  • 週末や夜の授乳を家族で分担も
  • 男性育業(男性の育児休業)で母親の負担を減らす
  • 本人の意向を聞きつつ、働き方の調整も
高尾美穂さん
医学博士・産婦人科医 イーク表参道 副院長
日本スポーツ協会公認スポーツドクター・産業医

東京慈恵会医科大学大学院修了後、同大病院産婦人科助教、東京労災病院女性総合外来などを経て、2013年から現職。大学病院では婦人科がん(特に卵巣がん)専門。ヨガの指導者資格も持ち、ヨガ、アンチエイジング医学、漢方、栄養学、スポーツ医学を多角的に用い女性の心身をさまざまな角度からサポートする。

(※内容は2023年9月取材時点のものです)