飯田美穂さん写真

健康経営、人的資本経営、女性活躍、生産性向上などさまざまな視点を背景に、女性特有の健康課題に対する企業の取り組みへの認識が高まりつつあります。ただ、積極的に施策を打ち出す企業とそうでない企業の間には、大きな差があるのも事実です。婦人科医で産業医でもある飯田美穂さんに、現場や業界の動きを通じて見えてきた現状と課題、そして、これから着手したいと考えている企業が、まず取り組んだらいいことは何かを聞きました。

「女性特有の健康課題に対する職場の対応には、現状、まだ大きな格差がありますが、以前と比べると“やらなくちゃいけない課題”という意識が少しは出てきているように感じます。とはいえ、過重労働やメンタルヘルス対策、健康診断結果に基づく事後措置(受診勧奨や情報提供など)、化学物質等による労働災害防止対策、高年齢労働者の健康障害防止対策など、産業保健の分野にはほかにも取り組むべき課題が山積みのため、一般的には女性問題は優先順位がまだまだ低い印象です」と飯田さん。

そうなってしまう背景には、「世間にはそういう課題があることは分かっていても、自社の女性従業員の実態を把握する材料がないのも一因」と飯田さんは話します。

まずは自社の従業員の実態把握
「数字化」で施策の必要性が見えてくる

生理や更年期の不調で仕事に影響が出て困っているものの、ほとんどの女性は自分からは積極的に訴え出ません。「私が関わっている企業では、従業員の不調の事例対応をしていた保健師さんが『最近、この問題が増えている気がする』と気づき、自分から積極的に女性従業員に対して生理の不調の聞き取りをしてくれ、ようやく、社内に困っている女性がとても多いことが顕在化されました。このように、問題意識をもった保健師や産業医、女性管理職などがトップ層に伝え、会社が女性の健康施策に力を入れるようになったという会社があります」(飯田さん)。

予算や資源が限られる中で優先順位を上げるためには、まず、現状を把握することが出発点。従業員の生理、更年期の不調や働き方などを数値化するなど可視化する必要があります。「トップダウンであっても判断材料があったほうがいいし、ボトムアップならなおさら説得材料がないと、まだまだ多いであろう上層部の無関心層を動かすのが難しいと思います」(飯田さん)。

困っている従業員が声を上げることも力になります。長らくタブー視されてきた生理や更年期などについて、口に出すのが恥ずかしいと考える人もいますが、女性従業員は個人の声でなく従業員の声というように意見をまとめて会社に提案することも有用でしょう。

まずは、自社アンケートや、第三者サービスによるアンケートの活用、従業員の声の集約などで自社の現状を把握してみることから始めてはいかがでしょうか。

入社時の研修で男女ともに
「女性特有の健康課題」を学ぶ機会を

もう一つ、現状把握とともにすべきことは、知識を得られる機会をつくること。

「女性も男性も、女性特有の健康についてほとんど知識を持っていないのが今の日本の問題点です。このテーマは学校教育が追い付いておらず、また、すべての教育現場でその環境が整うにはまだ時間がかかりそうなので、会社が研修の機会をつくってほしいです。女性の健康に関して職場で学ぶことで、共通の認識がある前提で働けますから、働きやすい職場づくりにつながりますし、従業員がライフプランやワーク・ライフ・バランスを考えるときにも役立ちます。

実施の機会として一番いいのは、入社時研修。男女ともに女性の体についての理解を深めてもらうとともに、生理休暇や産休や育休、男性育業など社内の制度の使い方なども一緒に説明するといいと思います」(飯田さん)。

入社時の1回でなく、いろいろな切り口から学べる機会を作るにこしたことはありませんが、全員が必ず受ける入社時研修の機会を使うことで機会損失をなくし、また、その後配属された職場でもこの話題をタブー視しなくなる可能性が高まります。

研修の際、実施の効果を見るためにアンケートを採ることも大切です。「研修を受けてよかった、悪かった」といった単純な設問だけでなく、たとえば「現在または過去において生理や更年期に関する症状で困った経験をしたことがあるか?」「その時に受診しようと思ったかどうか」「どうして受診しないのか、その理由」など、次にすべき対策を見極めるための設問や自由意見の記述をしてもらうことで社内の課題が明らかになります。

また正しい知識が定着したかどうかを問う設問も有効。研修の影響度の“見える化”は、社内の説得にも役立ちそうです。「つらい症状があった人が研修後、受診をしたか」など、行動面や生活面で起きた変化などを具体的に捉えられる設問もお薦めです。

では、研修で知識を共有することの次には、何をするといいでしょう。

「正しい知識が身についたとしても、女性自身が自らの不調に対し何らかのアクション(産婦人科受診、またはセルフケアの実践)を起こせるか、というと必ずしもそうではありません。不調がある人のアクションを手助けするような仕組みづくりが求められます」(飯田さん)。

産業医や保健師が職場にいれば、彼らが窓口となり、正しいアクションが取れるよう適切な助言をすることができます。しかし、実はここにも課題があります。

「職場にいる医師や保健師が必ずしも女性の健康課題について専門的知識を持っているとは限らないのです。目まぐるしい社会情勢の変化に合わせて情報や技能のアップデートが求められるので、幅広い知識を習得するための自己研さんは大変ですが、それでもぜひ、学会や医師会の研修会などに参加して、適切にレベルアップを図ってもらえたらと思っています。ある企業では保健師さんたちから知識を得たいとの要望があり、産婦人科医の立場で講習をしたこともあります」(飯田さん)。

医師や保健師がいないような中小企業の場合は、「不調のある社員を、自治体の健康づくり担当者につないで相談に乗ってもらうことも可能です。また、働く女性を対象とした健康実態調査や出張健康教育などを行っている自治体もあり、今後そういった地域と職域が連携していくことも期待されています。主に事業主や人事担当者向けに、保健師、栄養士、歯科衛生士、運動指導士などの専門職が希望する会場に出張し、無料で健康セミナーを開催している例もあるようです」

また、「受診をしたいけれど、どの医療機関に行ったらいいのかわからないから受診しない」という声もよく聞かれます。会社が婦人科の医師と連携できるのが理想ですが、生理や更年期などの分野の専門医としては、日本女性医学学会が「女性ヘルスケア専門医」の資格を認定しています。そこで、「例えば、職場周辺にある、こうした資格を持つ専門医のいる医療機関のリストを作っておき、不調がある従業員が受診先探しの参考にできるようにしておくだけでも、アクションを起こすときの助けになるかもしれません」(飯田さん)。

ただ、良い施策を導入しても「従業員にそのことを周知するのが意外に難しい」と飯田さんは指摘します。営業所がたくさんある、イントラネットに従業員がつながっていないなど職場の形態がさまざまなため、制度はあっても知らない人が多いという現象は起こりやすいもの。「周知徹底のための策を考えてほしいです。治療の補助をした会社のケースでは、制度を活用して症状が軽快した従業員がそのことを周囲に話し、それを聞いた同じ職場の人が制度を知って相談に来る、というような好循環が生まれていました。制度を作り、積極的に会社が発信することで、職場でもこの話題をしやすくなっていき、人から人に伝わるということも増えると思います」と飯田さんは話します。

飯田美穂さん
慶應義塾大学医学部衛生学公衆衛生学教室 講師

2008年慶應義塾大学医学部卒。2010年同大学医学部産婦人科学教室に入局し、産婦人科医としての研さんを積む。2017年同大学大学院医学研究科修了、医学博士取得。2018年同大学医学部衛生学公衆衛生学教室助教。2021年同講師。女性ヘルスケアの向上に資するエビデンス創出のための疫学研究や、企業における女性の健康支援に従事。女性の健康を社会医学・公衆衛生の側面から取り組んでいる。産婦人科専門医、女性ヘルスケア専門医、社会医学系指導医、日本医師会認定産業医。

(※内容は2023年11月取材時点のものです)